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気前のいい技術供与
日本は自動車を作る国だった。
自動車を作る機械を作り、その機械を生み出す工作機械(マザーマシン)を作り、その部品を作り、さらにその材料を作る。
サプライチェーンの隅々まで人が没頭し、精度と品質で世界一を目指した。そして実際に世界一になった。カメラも、複写機も、医療機器も、建設機械も、鉄道も。金属を削り、磨き、組み上げる製品群は日本の競争力の象徴だった。
当時、日本人は「高精度な製品は他の国では作れない」と信じていた。少なくとも、競争相手になるとは想定していなかった。
だから技術を渡した。しかし技術が移転すれば前提は変わる。作れなかった国は作れる国になる。競争は最初から存在していたのではない。技術供与によって新たに生まれたのだ。
問題は技術を教えたことではない。教えれば競争が生まれるという構造を読めなかったことだ。
そして10年もしないうちに、他国でも十分な品質の製品が、より安く作られるようになった。
鋳物技術は、その象徴である。その源流は、奥出雲に始まる「たたら製鉄」に遡る。砂鉄を集め、炉を築き、木炭を焚き、砂鉄を炉内で還元して鉄を生み出す。火を絶やさず、温度を保ち、炉の底に溜まった鉄を取り出す。たたら製鉄とは、自然・人・時間を要する高度な製錬技術だった。世代を超えて蓄積された知恵と経験は、やがて世界最高水準の鋳造技術へとつながった。
長い時間をかけて磨かれた技術は、性善説のもとで他国に共有された。やがてそれは競争相手の強力な力となった。日本の鋳物産業は価格競争で劣勢となり、廃業が相次いだ。工作機械や産業機械の筐体(ボディ)を、国内で十分に作れなくなったことは、構造の変化を象徴している。
問題は技術を渡したことではない。技術を渡せば競争構造が変わるという前提を持たなかったことだ。
善意は構造を動かす。しかし構造は、善意には従わない。