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国際会議で相がズレる日本人
— 英語は会話力ではなく、意思決定のインフラである —
英語が話せることは、しばしば能力や国際性の象徴として語られる。しかし実務の現場で起きていることは、もっと残酷で構造的だ。
海外拠点代表者が集まる国際会議の日。開始前、会議室前のロビーでコーヒーを手に立ち話が始まる。「昨日、歩いていたら鳥の糞が目の前に落ちてきてねー」。笑いが起きる。冗談が続く。会話は追えるが笑うタイミングが分からない。笑えない。反応が遅れる。
そのとき、それは小さなことに見える。だが、そこから最初の“ずれ”が生まれる。その雑談の中で、誰かがさりげなく言う。「例の件、あの方向でいけそうだね」「まあ、その方が現実的だろう」まだ正式な議題にはなっていないのに。
しかし方向性は、すでに共有されている。
その場にいても、その文脈に入れていないと会議が始まったとき、こう感じる。「えっ、もうその前提で進むのか?」議論が唐突に見える。この違和感は能力の差ではない。相のずれだ。相とは、時間的な位置のことだ。同じ時間と空間にいても意思決定の流れのどこに立っているかで違う。
国際的な意思決定には、公式の時間と、非公式の時間がある。ロビーの立ち話。移動中の軽い確認。会議前の雑談。そこですでに、方向は整えられている。正式な会議は、その確認の場にすぎない。英語が十分に理解できないと、非公式の時間に入りきれない。すると、自分だけが常に“後から”参加している感覚になる。
・決定が突然に見える ・自分の意見が噛み合わない ・空気が読めない
やがて評価がずれる。発言力がずれる。存在感がずれる。孤立は劇的には起こらない。時間の位相が静かにずれるだけだ。ここで重要なのは、英語は単なるスキルではないということだ。それが鍵ではない。意思決定に参加するためのインフラである。会話の流暢さよりも非公式の時間(会議前30分)に自然に存在できること。会議の前に始まっているカイギの潮流に乗れていること。
もしあなたが、いつも半歩遅れている感覚を持っているなら、それは努力不足ではないかもしれない。相がずれているだけかもしれない。そして相は、能力論ではなく、構造として理解されるべきものだ。
英語とは世界と話すための道具ではない。世界の意思決定の時間に接続するためのインフラである。