locomotion
円安によるロコモーション パリと東京
1980年代、何度か仕事でパリを訪れました。
パリの大通り。有名ブランド店の前には人だかりができていた。日本人の団体客でした。当時は円が強く、海外で買い物をすることがカッコよかった時代でした。私は、その一団を避けるように脇道へ入った。気恥ずかしかった。同じ国から来ているのに少し離れたい気持ちがあった。店員の日本人に対する接客態度は悪かった。言葉も文化も隔たりがあり、私たちは「あたたかく歓迎される客」というより、「大量にモノを買う東洋人」だったのだと思う。
あれから40年。いま、日本で同じ現象が起きている。円安によるオーバーツーリズムだ。古都や景勝地だけではない。銀座を歩くと、日本語が聞こえないことが常態化しました。
40年前のパリとの違い。ひとつは、当時のパリは日本人が圧倒的多数だったけど、いまの日本は多国籍の人々で溢れていること。もうひとつは、当時のパリの店員は不愛想だったが、いまの日本の店員は笑顔で応対していることだ。
立場は反転しました。かつて私たちは、強い円を背景に世界へ出て行った。いま、世界が弱い安い円の日本へやって来る。その結果、観光の様子は入れ替わった。でも、人の感情はすぐには変わらない。その差に違和感があるのです。
40年前、私はパリの脇道を歩いていた。いま、銀座の雑踏の中で、あの日の自分を思い出します。
では、これから私たちはどう振る舞えばいいのか。あのときのパリの店員のようになるのか。それとも、いまの日本の店員のように微笑み続けるのか。
あのとき、私はパリの脇道を歩いていました。いま、日本はどの道を歩いて行こうとしているのでしょうか。